CASE 04

第4話 家賃は、どの口座へ振り込んでもらう?

「来月からの家賃は、ご連絡いただいた信託口口座へ振り込みます」

信託登記が終わって数日後、マンションの管理会社から美咲に電話がかかってきました。

山田家では、信託を始める際に金融機関と手続を進め、信託財産を管理する口座を開設していました。美咲は、管理会社へ伝えた口座情報と、振込先を切り替える時期を確認しました。

美咲が管理する口座へ、家賃が入る

「来月から、家賃は信託口口座へ入ることになったよ」

その日の夕方、美咲は実家で和子と健一に伝えました。

「今までの私の口座には、入らなくなるのね」

和子が言いました。

「うん。これからは、私が受託者として管理する口座で受け取るの」

それを聞いた健一には、気になることがありました。

美咲の口座に入ったら、美咲の収入になる?

「年間で約1,500万円の家賃が、美咲の口座に入るんだよね」

「そうなるね」

「それって、美咲の収入にはならないの?」

美咲は言葉に詰まりました。

第2話では、美咲が受託者になっただけで、直ちに和子から美咲への贈与になるわけではないことを確認しました。

それでも、毎月の家賃が美咲名義の口座へ振り込まれれば、外からは美咲が受け取っているように見えます。

「受託者として受け取ることと、私が自分の収入としてもらうことは、同じなのかな」

三人は、もう一度、山田家の家族信託の関係を整理することにしました。

管理する人と、利益を受ける人

山田家の家族信託では、母の和子が委託者であり、当初受益者です。長女の美咲が受託者です。

マンションを管理するのは、受託者である美咲です。

美咲は管理会社と連絡を取り、家賃を受け取り、必要な修繕を手配し、マンションに関する費用を支払います。

一方、マンションから生じる利益を受けるのは、受益者である和子です。

「美咲は、私の代わりにマンションを管理する人なのね」

「そう。家賃を受け取るのも、私自身がもらうためじゃなくて、マンションを管理するため」

美咲が受託者として家賃を受け取ることと、美咲が家賃を自分の財産としてもらうことは別です。

美咲は、家賃を自由に自分の生活費へ使ってよいわけではありません。信託契約に従い、信託財産として管理します。

お金の置き場所と、所得の帰属は別の問題

「それなら、美咲が管理する口座へ家賃を振り込んでも、美咲の所得にはならないの?」

健一が尋ねました。

所得税を考えるとき、家賃がどの名義の口座へ振り込まれたかだけで、申告する人が決まるわけではありません。

山田家の信託では、和子が当初受益者です。信託財産であるマンションから生じる利益を受けるのも和子です。

そのため、美咲が受託者として家賃を受け取り、管理していても、原則として家賃収入と必要経費は、受益者である和子に帰属します。

「お金を置いておく口座と、誰の所得になるかは別なんだね」

「そういうこと。私の口座で管理するからといって、私の所得になるわけではないのね」

家賃の振込先と、家賃収入を申告する人は、分けて考える必要があります。

確定申告は誰がする?

家族信託を始めても、それだけで和子の不動産所得が美咲へ移るわけではありません。

これまで和子は、マンションの家賃収入から管理手数料や修繕費などの必要経費を差し引き、不動産所得として確定申告をしていました。

信託を始めた後も、和子が受益者である間は、原則として和子の不動産所得として申告します。

その一方で、実際にマンションを管理し、家賃や経費の動きを把握するのは美咲です。

「家賃がいくら入って、何にいくら払ったのかを、私が記録しておく必要があるのね」

「その記録が、お母さんの確定申告につながるんだね」

美咲は、管理会社の明細、修繕費の請求書、領収書、固定資産税の納税通知書などを整理し、年間の収入と支出を確認できるようにすることにしました。

美咲個人のお金とは分けておく

山田家が、美咲の普段使っている個人口座を家賃の振込先にしなかったのには、理由があります。

美咲の個人口座には、勤務先からの給与が入り、住宅費や食費、クレジットカード代などが出ていきます。

そこへマンションの家賃も入るようになると、どのお金が美咲個人のもので、どのお金が信託財産に属するのか分かりにくくなります。

「同じ口座に入っていても、帳簿で分ければいいんじゃないの?」

和子が尋ねました。

「分けられないわけではないかもしれないけれど、間違いやすいし、あとで説明するのも大変だと思う」

たとえば、美咲の個人口座から20万円を引き出したとき、それが美咲の給与から使われたのか、信託財産である家賃から使われたのか、通帳だけでは分かりません。

家族信託では、受託者は信託財産と自分の財産を分けて管理する必要があります。

税務申告の資料を作るためだけではありません。

美咲が受託者として何を受け取り、何に支払い、どれだけ残しているのかを、和子や健一に説明できる状態にしておくためにも、口座を分けることが重要です。

「信託口口座」という名前でなければいけない?

「銀行で作った口座は、私の生活費の口座とも、美咲の普段の口座とも別なのね」

和子が言いました。

家族信託で管理するお金について、信託財産であることが分かる名称の口座を用意することがあります。

ただし、口座の名称や開設条件は、金融機関によって異なります。

家族信託に対応しているか、口座名義をどのように表示するか、信託契約書や公正証書などの確認を求めるかについて、すべての金融機関が同じ取扱いをしているわけではありません。

そのため、「信託口口座」という名称の口座でなければ家族信託が成立しない、というわけではありません。

重要なのは、口座の名称だけではなく、信託財産を管理するための口座として区別され、美咲個人のお金と混ざらないことです。

「名前だけで決めるんじゃなくて、信託契約の内容と金融機関の取扱いを確認する必要があるのね」

山田家でも、開設前に信託契約書を金融機関へ提示し、口座名義と利用方法を確認していました。

信託財産だけを管理するために分けた個人名義の口座と、金融機関が信託契約を確認して信託財産の管理用として取り扱う口座では、実務上の扱いが同じとは限りません。口座名義だけでなく、美咲が受託者として入出金できること、信託財産であることの確認方法、受託者が交代した場合の必要書類や利用再開の手続まで、開設時に確認します。

美咲が亡くなった場合でも、信託財産が当然に美咲個人の相続財産になるわけではありません。ただし、後継受託者がすぐに同じ口座を使えるとは限らず、金融機関所定の手続が必要です。母の判断能力が低下した場合や、受託者が交代した場合にも管理を続けられるよう、契約と口座の取扱いを合わせて確認しておきます。

通帳から出たお金が、すべて経費になるわけではない

管理用口座では、家賃の入金だけでなく、マンションに関するさまざまなお金が動きます。

お金の動き 管理上の区分 税務上の注意
家賃・共益費 収入 原則として和子の不動産所得の収入
敷金・保証金 預り金 受け取った時点ですべて家賃収入になるとは限らない
管理手数料・清掃費 支出 内容と証拠書類を確認して必要経費を判断
修繕工事代 支出 修繕費か資本的支出かの確認が必要になる場合がある
借入金の返済 支出 元本部分と利息部分を区別する
和子への送金 受益者への給付 マンションの必要経費とは区別する

「口座から出ていったお金が、全部経費になるわけではないんだね」

健一が表を見ながら言いました。

「借入金の元本を返したお金や、お母さんに生活費として渡したお金まで、必要経費にできるわけではないのね」

通帳に記録された入金と出金を並べるだけでは、正しい所得計算にはつながりません。

何のために受け取り、何のために支払ったのかを記録し、管理会社の明細、請求書、領収書などと照合できるようにしておく必要があります。

和子への送金も、意味が分かるようにする

和子は、これまでマンションの家賃収入を生活費にも使っていました。

信託を始めた後も、受益者である和子は、信託契約に従って生活費などの給付を受けることがあります。

ただし、管理用口座から和子の口座へ送金したときは、その理由が分かるように記録しておく必要があります。

「お母さんへの生活費として渡したのか、お母さんが立て替えたマンションの費用を返したのかでは、意味が違うよね」

美咲が言いました。

受益者である和子への給付は、マンションの管理費や修繕費とは異なります。口座からお金が出ていっても、それだけで不動産所得の必要経費になるわけではありません。

家賃収入、マンションの経費、和子への給付を区別して記録することで、信託財産の残高と不動産所得の計算をそれぞれ確認しやすくなります。

管理会社へ伝えること

信託を始める前に、美咲は管理会社と、連絡窓口や管理委託契約に必要な手続、家賃の振込先変更について相談していました。登記と口座開設を終えた後は、その準備に沿って、管理明細や請求書の送付先、振込先を切り替える時期を最終確認しました。

「管理明細と請求書の送付先も、私宛てに変更してください」

美咲は、家賃の振込先だけでなく、今後は自分が受託者として管理会社との連絡や修繕の判断を行うことも伝えました。

そのうえで、次の事項を管理会社と確認することにしました。

  • 今後の連絡先
  • 管理明細や請求書の送付先
  • 修繕についての連絡方法
  • 管理委託契約などで必要となる手続

信託登記をしただけで、管理会社が持っている登録情報や家賃の振込先まで自動的に変わるわけではありません。

信託契約の内容と管理会社の手続を照らし合わせ、実際の管理方法を整える必要があります。

山田家が決めた、新しい家賃の流れ

話し合いの結果、山田家は次の方法でマンションの家賃を管理することにしました。

まず、美咲が普段使っている個人口座は使いません。

信託開始時に開設した信託口口座で家賃を受け取り、美咲が受託者として管理します。

美咲は、その口座から管理手数料、修繕費、固定資産税などを支払い、それぞれの内容を記録します。

和子へ生活費などを送金するときは、マンションの経費と区別し、受益者への給付であることが分かるようにします。

そして、年末には管理会社の明細や請求書などを整理し、和子の確定申告に必要な資料へつなげます。

「美咲が管理する口座だけど、美咲のお金ではない」

和子が、確認するように言いました。

「そう。私は受託者として管理する。マンションから生じる利益を受けるのは、受益者のお母さん」

「だから、家賃収入も原則としてお母さんの不動産所得として申告するんだね」

健一も、ようやく関係を整理できました。

忘れてはいけない三つの区別

家賃の振込先を決めるときは、三つの立場を区別することが大切です。

確認すること 山田家の場合
誰が家賃を管理するか 受託者である美咲
誰が家賃から生じる利益を受けるか 受益者である和子
誰の所得として申告するか 原則として和子の不動産所得

家賃が美咲の管理する口座へ振り込まれても、それだけで美咲の所得になるわけではありません。

一方、家賃収入が和子の所得だからといって、和子名義の従来口座をそのまま使い続ければよいとも限りません。

家族信託の目的に沿って美咲が管理を続けられるようにしながら、信託財産と美咲個人の財産を分けておく必要があります。

口座、帳簿、信託契約、確定申告。

それぞれの役割は違いますが、実際のお金の流れがつながるように整えておくことが大切です。

次に確認したのは、インボイスの登録番号だった

家賃の振込先を信託口口座へ変更する準備を進めるなかで、管理会社から美咲へ確認がありました。

「事業用区画の賃料について発行するインボイスには、和子さんと美咲さんのどちらの登録番号を記載すればよいでしょうか」

家賃を受け取り、請求書を発行する実務を行うのは受託者の美咲です。しかし、信託不動産から生じる課税売上げは受益者である和子に帰属します。

山田家の話は、信託開始後のインボイスに誰の登録番号を記載するのかという、次の問題へ続きます。

前の話 第3話 登記簿に長女の名前――マンションを贈与したことになる?

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