第3話 登記簿に長女の名前――マンションを贈与したことになる?
「説明どおり、ここは美咲の名前になっているね」
健一は、司法書士から届いた登記事項証明書を指しました。
「これ、美咲のマンションになったってこと?」
契約前には、名義が美咲へ変わっても、当初受益者は和子のままだと説明を受けていました。それでも、完成した登記を見ると、名前の持つ意味が気になります。
「この書類を見た人には、美咲がマンションをもらったようにも見えるな。信託の登記は、どこを見れば分かるんだろう」
美咲も、信託目録と契約書を開きました。
「私の名前が載る理由と、お母さんが利益を受けることを、書類でも説明できるようにしておきたいね」
三人は、登記完了後の書類を使って、司法書士と税理士にもう一度確認することにしました。
名前が変わっても、利益を受ける人まで変わるとは限らない
司法書士は、契約前に使った説明資料と、登記完了後の書類を並べました。
「事前に確認した内容が、実際の登記ではどう表れているかを見ていきましょう。美咲さんの名前だけでなく、信託の登記と信託目録を合わせて確認します」
山田家の信託では、和子がマンションを信託し、美咲が受託者として管理します。一方、マンションの家賃などの利益を受ける当初受益者は、引き続き和子です。
税理士は、紙に三つの項目を書きました。
- 登記名義は誰か。
- 信託財産を管理する人は誰か。
- 信託から利益を受ける人は誰か。
「山田家では、登記名義人と管理する人は、美咲さんです。しかし、家賃などの経済的利益を受ける人は、和子さんのままです」
登記名義が美咲へ変わっただけで、和子の受益権まで美咲へ移ったことにはなりません。そのため、今回の名義変更だけを理由に、美咲がマンションの経済的利益を贈与されたとは考えないのです。
なぜ、美咲の名前で登記するのか
健一は尋ねました。
「利益を受けるのがお母さんなら、登記もお母さんの名前のままではいけないんですか」
司法書士は、登記事項証明書を開いたまま答えました。
「信託後は、美咲さんが受託者としてマンションを管理します。賃貸借契約の管理、修繕、契約更新などを信託契約に従って行うには、美咲さんが信託不動産を管理する主体であることを、登記でも示す必要があります」
信託する不動産については、委託者から受託者への所有権移転の登記と、その不動産が信託財産であることを示す信託の登記が行われます。
つまり、美咲の名前は、マンションを自分のためにもらったことではなく、受託者として管理を担うことを示しているのです。
登記簿は、美咲の名前だけを見ない
司法書士は、登記事項証明書を見る順番を説明しました。
「まず、美咲さんが受託者として登記されていることを確認します。次に、登記原因が信託であることと、信託の登記が行われていることを確認します。そして、信託目録も見ます」
信託目録には、委託者や受益者、信託の目的、信託財産の管理方法など、信託関係を確認するための事項が記録されます。
ただし、登記事項証明書だけで、信託契約の細かな条件まで分かるわけではありません。受託者が何をできるのか、誰のために財産を管理するのかを確認するときは、信託契約書も一緒に確認します。
「美咲の名前があるところだけを切り取らず、信託の登記と契約書まで合わせて見る必要があるんですね」
健一が言うと、司法書士はうなずきました。
美咲は「名前を貸しただけ」ではない
美咲は、契約前に確認した受託者の役割を、登記事項証明書と照らし合わせました。
「私の名前が載るのは、名前を貸すためではなく、受託者として契約や管理を行う立場を示すためなのですね」
「はい。美咲さんには、信託契約に従って管理する権限と責任があります。自分のために自由に使える財産を受け取った、という意味ではありません」
美咲は、マンションを自分の固有財産のように扱うことはできません。家賃を自分の生活費に使うこともできません。しかし、受託者として必要な契約や管理を行うのは、美咲です。
登記に名前が載ることは、財産をもらった印ではなく、母の財産を預かって管理する立場が外からも分かる形になったということでした。
贈与税がなくても、登記の税金はゼロではない
健一は、今度は司法書士から届いた精算書を手に取りました。
「ここには登録免許税とあります。贈与税がかからないのに、どうして税金が出てくるんですか」
税理士は、税金ごとに見る対象が違うと説明しました。
贈与税では、信託によって誰が経済的利益を受けることになったかを確認します。一方、登録免許税は、不動産についてどのような登記をしたかを確認します。
信託設定時には、信託による所有権移転の登記と、信託の登記を分けて考えます。委託者から受託者への信託による所有権移転の登記は、登録免許税法上、非課税とされています。一方、信託の登記には登録免許税がかかります。
「贈与税がかからないことと、登記に関する税負担が何もないことは、別なのか」
「そうです。家族信託だから税金がかかる、かからないと一括りにせず、税目ごとに確認します」
税理士は、山田家の場合を次のように整理しました。
| 税金 | 何を確認するか | 山田家の信託設定時 |
|---|---|---|
| 贈与税 | 誰が経済的利益を受けるか | 和子が当初受益者のため、美咲への贈与とは扱わない |
| 登録免許税 | どのような登記をするか | 所有権移転部分と信託登記部分を分け、信託登記部分の税負担を確認する |
| 不動産取得税 | 地方税法上の不動産取得に当たるか | 委託者から受託者への信託設定時の移転は非課税となる |
1億2,000万円に税率を掛けるのではない
和子のマンションは、相続税評価額が約1億2,000万円と見込まれています。
健一は、その数字を思い出しました。
「登録免許税も、1億2,000万円に税率を掛けるんですか」
「いいえ。約1億2,000万円は、相続税や贈与税を検討するときの相続税評価額です。登録免許税の課税標準と、当然に同じではありません」
同じマンションでも、相続税評価額、売買価格、固定資産課税台帳に登録された価格など、目的の異なる金額があります。税金の種類によって、確認すべき金額も異なります。
実際の登録免許税は、土地と建物を分け、固定資産評価証明書などで課税標準を確認し、登記時点の法令に基づいて計算します。
「1億2,000万円という数字があるからといって、それを何にでも使うわけではないんですね」
和子が言うと、税理士はうなずきました。
不動産取得税はどうなる?
「美咲がマンションを取得した形なら、不動産取得税もかかるの?」
和子の問いに、税理士が答えました。
「今回のように、委託者から受託者へ信託財産を移す信託設定時の移転については、地方税法上、不動産取得税は非課税となります」
ただし、この結論は、今回の信託設定時についてのものです。
将来、受益者が変わるときや、信託が終了して不動産を引き継ぐときは、誰がどのような権利を取得するのかを改めて確認しなければなりません。
「家族信託なら、いつでも不動産取得税がかからないという意味ではないのね」
「そのとおりです。始めるときと、途中で権利関係が変わるとき、終わるときは分けて考えます」
山田家が整理した5つのこと
話を聞き終えた美咲は、もう一度、登記事項証明書を開きました。
事前に聞いていた説明を、実際の登記と照らし合わせることで、自分の名前が示す立場を確かめられました。
「お母さんのためにマンションを管理する立場が、登記にも表れたということですね」
「はい。ただし、名前だけの立場ではありません。美咲さんには、信託契約に従って管理する権限と責任があります」
司法書士の言葉に、美咲は表情を引き締めました。
山田家では、今回改めて確認したことを五つに整理しました。
- 登記上、美咲は受託者としてマンションを管理する主体になる。
- 家賃などの経済的利益を受ける当初受益者は、引き続き和子である。
- 美咲への贈与税と、登記に伴う登録免許税は別に判断する。
- 約1億2,000万円の相続税評価額を、登録免許税の計算へそのまま使わない。
- 信託設定時の不動産取得税と、将来の受益者変更・信託終了時の課税は分けて考える。
登記事項証明書、信託契約書、固定資産評価証明書、登録免許税の精算に関する書類も、一緒に保管することにしました。
同じ家族信託でも、税金は個別に確認する
家族信託に伴う登記と税金は、信託契約の内容、受託者と受益者、信託する不動産、登記時期などによって異なります。
司法書士などの法律専門家には、信託契約と登記の内容を確認してもらいます。税理士には、誰に経済的利益が帰属するのか、登録免許税や不動産取得税をどう扱うのかを確認してもらいます。
相談の際には、少なくとも次の資料を同じ前提で確認できるようにします。
- 信託契約書
- 登記事項証明書と信託目録
- 固定資産評価証明書
- 登記費用の精算書
法律と税務を別々に検討したままにせず、司法書士と税理士が同じ契約内容と財産資料を共有することが大切です。
次回予告 家賃は、どの口座へ振り込んでもらう?
登記と契約の関係を確認し、和子はようやく安心した表情を見せました。
登記が完了して数日後、美咲のもとへマンションの管理会社から電話が入りました。
「来月からの家賃は、ご連絡いただいた信託口口座へ振り込みます」
これまで和子名義の口座へ振り込まれていた家賃は、翌月から信託口口座へ入ることになりました。
電話を切った美咲に、健一が尋ねました。
「美咲が家賃を管理するなら、その家賃は誰の収入として申告するんだ?」
次回は、家賃の振込口座と信託財産の管理、そして家賃収入を誰が申告するのかを考えます。